「定年本」が売れています。
amazonの書籍ジャンルで「定年」を検索すると9000冊以上の本がヒットします。
本屋さんでは「エッセイ」の棚に並んでいることが多いようですが、結構な数の定年本が並んでいます。
それだけ市場があるということですね。
裏を返せば、一億総活躍などとうまいこと持ち上げられ、定年延長でなかなか会社を離れられないのに、
いざ定年後を考えると、年金に頼れない、親の介護もある、生活がイメージできない、など、定年後の生活に不安を持っている人が非常に多いということかと思います。
私も、気になる本は本屋さんで立ち読みしたり買ってみたりしています。
書評とまでいかなくても感想を書いてみたいと思ってはいますが、読むのが遅くて書くのも遅くて追い付きゃしない(笑)
今日は「定年本」というジャンルに関する全体的なこと、気になっていることを書こうと思います。
「定年本」の2つの流れ、ハウツー本とアンチハウツー本
「定年本」には今、大きく二つの流れがあるように思えます。
- 定年後の生活変化に備えるための「ハウツー本」
- 今のままでいいという「アンチハウツー本」
「定年本」「反定年本」という言い方もありますが、どちらもジャンル的には「定年本」なので、ここでは「ハウツー本」と「アンチハウツー本」と呼ばせていただきます。
どちらも「定年後」という同じ市場に対して書かれていますが、
ターゲットとして次の2つの層があると思います。
- 「何かやらなきゃ」層 と、
- 「何もやりたくない」層。
別の言い方をすれば、
- 「変化に前向き」派 と、
- 「変わりたくない」派、
この2つの層をターゲットにしています。
アンチの方は、定年後の生活全般に対する危機感をあおるようなハウツー本に対するカウンターとして出てきました。
定年後の生活に不安はあるけれど、世の中にあふれているハウツー本にはうんざり、という層をターゲットにしています。
こういう本がウケるのはある程度予想できますね。
だって、何もしないのは楽だもんね。
確かに、ハウツー本の中には「~しなさい」「~してはいけない」と、やたらと危機感をあおってうっとおしく感じるものもあるかと思いますが、
かといってアンチ本の「今のままでいい」「何もかわらなくていい」という甘い囁きだけを信じると、
最後に裏切られることになるかもしれません。
どちらも、人によって当てはまるところもあれば、当てはまらないところもあるでしょう。
特にアンチハウツー本の方は、一部分だけを都合よく読むと「間違った安心感」で満足してしまう危険性があります。
定年後の人生を死ぬまでの長いスパンで見て、「必要なことはないか」「今から始めた方が良いことはないか」、そんな視点を持って読んでほしいと思うのです。
その本を読んでいる時点で何かしら不安を持っているはず。
ですから、その不安と向き合う努力を投げ出さないでほしいのです。
アンチハウツー本の危険性
環境は人それぞれですから、今まで通りの生き方で残りの人生を過ごせる人もいるかもしれませんが、生き方考え方を変えていかないとしんどい人もいるはずです。
なので私、今まで通りの生き方で大丈夫な人が「自分は大丈夫だからあなたも大丈夫なはずだ」という本に対しては、「それはあなたの場合でしょ」と思ってしまうのです。さらに言えば、10年後20年後に続編を書いてほしいですね。周囲の人のコメント付きで。
歳をとれば誰でも、
- 健康な体を維持するのに努力が必要になる
- 視覚聴覚体力気力記憶力が衰えていく
- 出来ていたことができなくなる
- 人の助けが必要になる
- 肉親の死、近親者の死、友人の死
- 多くの場合、お金が減っていく
これらは避けられない現実です。
ちなみに私、上記ほぼ全部徐々にきてますねー(笑)
そんな中でも笑って毎日を過ごしたいなら、
- これから変わっていく状況の中でも自分は何も変えずにいられるか、
- 残りの人生を今のままで最期まで送れるかどうか、
一度よく考えてみるべきだと思います。
そのためにハウツー本で、知らなかった現実に気が付くのは大切だと思うし、自分とは違うという違和感に気づくのも良いと思うのです。
自分にとって「痛い」現実を避けて、アンチ本の気持ちがいい囁きだけに耳を傾けるのは良くないですね。
言葉は悪いですが、良くない新興宗教と同じ。
まず現実を受け入れて、足りないと思ったものは、頭と体が動くうちに手に入れていく努力が必要です。
悲しいかな、そのうち嫌でも「何もできない」毎日がやってきます。
定年後、会社は何も心配してくれない
「オレはこれから誰にも迷惑をかけずに一人で生きる」
なんてカッコいいことを言っても、生きていれば必ず誰かに迷惑をかけているものです。
部屋から出なくてもゴミは出るし、歩いて転べば救急車は来るし、税金からは逃げられないし病気をしない人はいないし、ましてや一人で死なれた日にはその後始末は大変なことに。
定年前後で何が変わるか。
当たり前ですが、会社との関係がなくなることです。
会社勤めの時は、休めば職場が心配してくれました。戦力が減るから。
定年後は、風邪をひいても家の人ぐらいしか心配してくれません。
でも友だちがいれば、会う予定があれば、コミュニケーションをとっていれば、心配してくれるでしょう。
家の外に、会社以外に、笑って何かをお願いできる、迷惑をかけられる相手がいるのは、本人にとっても家族にとっても心強いものです。
会社を出たら誰も頼れる人がいなかった、では、寂しいですよね・・・
当面はのんびりしていても大丈夫。でも、
同じ毎日を、あと30年続けられるでしょうか。
これからは(これからも)、今まで経験しなかったことが次々に起こります。
今のままでいいかどうかは、死ぬまでの長い視点で考えてください。
自分の人生に責任を取るのは、自分自身です。
本を書いた著者は責任を取ってくれません。
孤高の人生を送ることは可能か ~藤原和博氏の人生相談より
朝日新聞のReライフネット「藤原和博の正解のない人生相談」で、この話題にピッタリな話がありましたのでご紹介します。
この相談者のような方が「アンチ本」を都合よく読んでしまうと、我が意を得たりとばかりに「堂々と何もしない人」になってしまうのではないかと心配です。
■隠遁するには早すぎる 余生の長さに思いをはせよ:朝日新聞Reライフプロジェクト
藤原 和博(ふじはら・かずひろ)
教育改革実践家。1955年、東京都生まれ。リクルート社フェロー、東京都杉並区立和田中校長、大阪府知事特別顧問、奈良市立一条高校長などを歴任。正解のない問題に取り組む「よのなか科」というアクティブラーニング法を開発し、広めている。
Q. 退職して5年が経ちました! 近頃はお偉い先生方が第二の人生とか、人生100年時代とか、様々なお題目でお話しになり、みんなそれに踊らされているようにも見えます。「何もしないのが一番」と考えるのは、私だけなのかと思い、一筆啓上した次第です。
A. 一人静かにひっそりと過ごす。自然に感謝し、時の流れに身をまかせて老いてゆく。あなたのおっしゃることは、それはそれで立派なお心がけですし、孤高の人生を生きると決めたならば、それも尊敬できる美しい生き方だと思います。
ただ、普通の人には、それが30年、40年と続くことに耐えられるのかどうか。それが問題となってきます。
・・・・
だから、私は最後まで他人や社会と関わり続け、誰かにとっての「懐かしい人」であり続けたいと願っています。
「誰かにとっての『懐かしい人』であり続けたい」
いい言葉だなあ…
きっと私も、それを目指しているんだと思います。
やった方がいいことはたくさんある
やっと会社勤めが終わった。
もう今のまま、何もしたくない。
その気持ちはわかります。
でも「今のまま」なんて、10年20年続きません。
自分も環境も変化します。対応しないと。
やってもいいし、やらなくてもいい。
嫌なことをやる必要はないけれど、やっておいた方がいいことはたくさんある。
何をやっておいた方がいいかを定年本で事前に知っておくのは、悪いことじゃないでしょう。
でも、ひとりでできることには限りがあります。
逆に、できないことが増えていきます。
だから、
普段から人と接触して、
いい刺激とストレスで細胞を活性化して、
色々な課題に対して、
小さく悩みを共有できる仲間を、
作っておくのは大切だと思うのです。
それが「いい人間関係」です。
会社にいれば否が応でも人と接するし、新しい人間関係に対応しなければいけないことがありますが、
定年後は自分から動かないと新しい人間関係は生まれません。
しかし、逆に言えば、自分でいい人間関係を選んでいくことができるのです。
仕事じゃないんだから、嫌な人とは付き合わなければいい。
お金はたっぷりある、あとは死ぬまでのんびり楽しむだけだ、という羨ましい人でも、
人と関わらないで死んでいくことは不可能です。
やってもいいし、やらなくてもいい。
「何もしない」自由は大切に使っても、
「今やるべきこと」は「できるうちに」やりましょう。
評価するのは自分です。楽しくやる方法はいくらでもあります。
ゆるく、楽しく、いきましょう。